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Posted by 滋賀咲くブログ at

2015年09月04日   【野間清六】日本誉、そしてアート

丁稚坊や


 「野間清六」。江南良三の「続・近江商人列伝」で見つけた名前です。

 なんだか聞いたことがあるなと思い、調べてみると、日本の美術史に力を尽くし、名を残した方でした。東京国立博物館の館長としても活躍をされていたそうです。

そしてこの「野間清六」という名は、近江商人の名としても足跡を残しています。

江戸中期(延享年代:1744ー)、下総の結城に店を開いたとされています。醸造業を営み、「角大」近江屋久右衛門と称し(※1)、江戸末期には結城の御三家と呼ばれるほどに力をつけ、近江屋は結城藩の御用金を担当、苗字帯刀を許されるまでになります。

明治期、当主だった清六は、書画を愛好し玄人はだしであり、商売への興味が薄れ、明治23年には店を廃業します。その後は、小西吉太郎(金田村浅小井)が継承したそうで、日清戦争の頃に人気を博したといいう「日本誉」というお酒は、この小西が店を引き継いでいた頃の話でしょうか

この後の、清六氏が国立博物館の館長として、日本の芸術に貢献された方です。

そして、この野間家の屋敷は、近江八幡に現存し、本家はNPOの事務局として、分家はボーダレスアートのミュージアムとして用いられているそうです。野間家は、アートとの縁が深いようですね。


【調査事項】
・日本誉とはどんなお酒だったのか:群馬県太田市の山崎酒造が同名のお酒を作っているが、関係があるのか
・結城酒造と野間清六の関係:近江屋久右衛門との関係があるとのこと、これは野間家の祖か。

【註】
※1 江南「続・近江商人列伝」では「大角」と記されています(50p)

【参考文献】
江南良三(1990)「続・近江商人列伝」、サンライズ印刷



Posted by 山遊舎くま at 22:21Comments(0)近江八幡市