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Posted by 滋賀咲くブログ at

2015年08月20日   【山岡孫吉】(4) ガスとエンジン

丁稚坊や

【加筆】2015/8/21

山岡孫吉は、大阪瓦斯社員との縁から、ガス発動機と出会うことになります。
この出会いがなかったら、ヤンマーも農業機械もディーゼルエンジンも生まれていなかったかもしれません。人が何かと出会うことが、その後の世の中を変えていくんですね。


ガス工事などの経験を積んだ山岡は、1907(明治40)年に山岡瓦斯商会を設立。徐々に中古ガス発動機の修繕、販売の仕事が増えたことから、1912(明治45)年、自分の誕生日に大阪市北区茶屋町に山岡発動機工作所を開きました。これがヤンマーの始まりです。


「ヤンマー百年史」を読んでいると、山岡の嗅覚の鋭さ、気づいたことを行動に移すパワーを感じます。
ガス発動機が電気モーターに追いやられていることに、「電気の届いていないところ」であればと商機を見出します。そこで打ち捨てられたガス発動機を入手し、整備、電気がまだ普及していない地域へ販売、それによって会社を成長させていきます。
また、第一次世界大戦時も、輸入されたものの販売の機会を逸したガス発動機の情報を知って、それを購入、販売へとつなげていきます。


山岡の行動力は、幼い頃からのものなのでしょうか。移民になることを考えたり、地元を出ることを考えたり、パワーを発揮する場所を常に探し求めているような印象があります。



Posted by 山遊舎くま at 22:29Comments(0)長浜市

2015年08月20日   【山岡孫吉】(3) 大大阪に向かう

丁稚坊や

山岡孫吉は、1888(明治21)年、滋賀県伊香郡東阿閉村の農家に生まれました。
小学校高等科を卒業後、村を出たいとの思いを強くし、最初はアメリカへの移民を考えます。ところが、移民になるには、保証金が必要だったそうです。そのお金が工面できない。また未成年でもあり、山岡は移民になることは諦めました。

しかし、やはり村を出ていこうと、1903(明治36)年、兄を頼って大阪に奉公に出ることにしました。
少しのお金を持って、大阪へ向かいます。今だと在来線で約2時間弱。当時は汽車で行ったのか、湖上交通も使ったのか。山岡の大阪への旅はどんな旅だったのでしょうか。

山岡は大阪で様々な仕事を経験します。天満のメリヤス屋、写真の台紙屋など。ちょうど彼が大阪に出た翌年、1904(明治37)年に日露戦争が始まります。その頃の大阪は、「大大阪」に向けての成長期。東阿閉から大阪に出てきて働く山岡がどんな景色を見たのか、何を思ったのか。とても気になります。

やがて山岡は、体調を崩し、その療養中に釣りに出た先で、大阪瓦斯の社員と出会います。その縁が彼の人生を変えることになります。

【追記】
「ヤンマー百年史」によると、山岡は当時高価な汽車ではなく、水上交通を用いて大阪まで出たそうです。

【調査事項】
・当時の移民の仕組み
・当時の滋賀の交通機関
・山岡の大阪での奉公先:天満のメリヤス屋はどこか。
・写真の台紙屋とは何か。

【最終更新日】2015/8/20


タグ :人物大阪


Posted by 山遊舎くま at 01:34Comments(0)長浜市

2015年08月18日   【山岡孫吉】(2) ヤンマー会館

ヤンマーの創設者、山岡孫吉は、1888(明治21)年、滋賀県伊香郡東阿閉村(今の長浜市高月町東阿閉)の農家に生まれました。
東阿閉の集落を訪ね、車を走らせていると、こんな風景を目にすることができます。


東阿閉遠景

滋賀の農村地域らしい田んぼに囲まれた家々の中に、ぽつりとヨーロッパ風の建物が見えます。
これが通称「ヤンマー会館」。山岡が、生まれ故郷に寄贈したもので、現在は公民館として使われています。


東阿閉公民館

近くに行くと、その建物の立派さはもちろん、1952(昭和27)年築と約60年たつ建物にもかかわらず、清潔に美しく保たれていることに驚きました。

東阿閉公民館入口

写真を撮っている間も、地域の方でしょうか、何人かの方が出入りされていました。プランターに花が植えられていたり、周囲の木々は美しく形を整えられていたり、ゴミも落ちておらず、大切にされているようです。




公民館前の広場には、山岡孫吉の顕彰碑がありました。これまた立派な石を用いて建てられています。

農家に生まれた山岡が、ヤンマーを作り、故郷にこのような立派な建物を寄贈するまでにはどんないきさつがあったのでしょうか。



【東阿閉自治会事務所(通称:ヤンマー会館)】
今も地域の方に使われており、内部は非公開とのことです。





Posted by 山遊舎くま at 16:49Comments(0)長浜市

2015年08月18日   【山岡孫吉】(1) ヤン坊とマー坊は滋賀から生まれた


「ヤン坊マー坊天気予報」


と聞くと、あのメロディーを思わず口ずさんでしまいます。可愛らしい二人の坊やが伝えてくれる天気予報が半世紀にわたって放映されていましたが、もうやっていないんですね。彼らヤン坊とマー坊は農業機械で有名なヤンマーのキャラクターです。


今や、佐藤可士和さんの手によってスタイリッシュな世界的企業になりつつあるヤンマー。その創業者は滋賀に生まれ、大阪に奉公に出て、自分の力を発揮する道を見出した人でした。

名を、山岡孫吉(1888-1962)といいます。


彼の時代に生きた人たちで名を挙げた人は、人生で出会ったものをうまくつかみとっていった人だと思います。まずつかんでみる。違っていたら変えていく。

彼について調べてみたいと思います。


【参考文献】
NPO法人三方よし研究所編(2005)「近江の商人屋敷と旧街道」、サンライズ出版



タグ :人物建築物


Posted by 山遊舎くま at 12:09Comments(0)長浜市