2015年08月25日 【研究者の足あと】「伝えざれば存せず」江南良三

江南さんは1914(大正3)年生まれ、近江商人の事蹟についてまとめた本を多く出版されています。
その中の一冊、「近江商人列伝」(サンライズ印刷、1989年)のあとがきにある一節は、私にとって、とても心惹かれるものになっています。冒頭を一部引用させていただきます。
商家の家歴は皆無に等しい。それを探ね歩き、古文書や先学の文献を繙いて纏める仕事は、想像以上に困難な業である。そんな徒労にも等しい作業に十数年を費して、なお且つ不詳の事柄が多いことを憶うとき、伝えざれば存せずの理を、殊更に肝に銘じるのである。(あとがき、326頁)
私の先祖は、三田(あるいはは篠山)から大阪に出、靱で鰹節の問屋を開いていました。明治時代に生まれた曽祖父で3代目。3代目はいろいろあると言いますが、まさにいろいろあった3代目で、曽祖父は明治から大正に変わる頃、なんらかの事情で弟に店を渡し、自分は身を引いています。
その理由、そもそもどこの出なのか、なぜ鰹節屋なのか、遊びに出かけた曽祖父を幼い祖父と一緒に迎えに行ったという番頭さんはどこのどんな人だったのか、その番頭さんはどうなったのか、かなり大きく商売をしていたようですが、どんなふうに商いをしていたのか、疑問は次々と湧いてきます。
ところが、「伝えざれば存せず」なのです。往時のことを知る人は、みなさんこの世にはいらっしゃいません。当時を少し伝え聞いている叔父も80代、どんどん情報が霞の向こうに去っていきます。
曽祖父のことを調べようと、あれこれたどっているうちに、この「伝えざれば存せず」は決してうちだけの話ではなく、その他の商家にも当てはまると感じるようになりました。各地に作られた商店の多くが、よほど有名なものでなければ歴史が見えてこない。
商いをし、身を立てていく人びとの苦労と醍醐味。
それを「伝えて存する」状態にしていきたい。明治維新から約150年。昔のことを残せるものを残していくこと。江戸から明治に変わり、新しい時代の到来とそれにともなう変化の中で、商いを行った人たちから、今の時代に生きるわたしたちが学べることがたくさんあるように思っています。
そして、それは現代の商人たちも同じ。業を起こし、身を立てている人たちがいます。そうした人たちの記録を残していけるように。それらから後世の人が学べるように。
いつか商いに取り組んだ、取り組んでいる人びとについてまとめた本を出したいです。
Posted by
山遊舎くま
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23:48
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研究者
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