
朝ドラ「あさが来た」で新次郎さんは、ぶらぶらゆらゆらしたボンボンとして描かれています。三味線を弾いて歌っているときは、シャンとしていますね。
明治期の大阪の遊芸について調べてみました。
大阪在来の唄いものとしては、地唄と箏曲があったそうです。中でも地唄は、大阪商人の家庭に普及していたとか。
また大阪の舞踊では、明治期に盛んだったのが山村流と楳茂都(うめもと)流。山村流は文政年間に始まり、優しい雰囲気の舞が好まれ、大阪商家の子女で習う者が多かったそうです。名古屋でおこった西川流が大阪に入ったのは明治後期とされています。
大阪の商家では、娘のしつけとして、6,7歳になると学校へ出すよりも先に舞の稽古へ通わせ、春秋の温習には始末屋の大阪商人も舞衣装に娘の為とお金をかけます。また、琴、三味線を習わせ、茶や生花の稽古も行わせます。
最近のこどもへのお稽古ブームも真っ青のお稽古づくし。あさちゃんみたいな女の子がいたら、「なんでこんないっぱいせなあかんの?」と聞いていそうですね。

ちょうど今朝ドラで「あさが来た」をしていますが、その時代考証にあたられている宮本又郎先生のお父さんで、近代大阪、大阪経済を中心にした日本経済史の著名な研究者です。
宮本先生の著作に、「大阪商人太平記」というものがあります。維新編からはじまるのですが、これがとてもおもしろい。
「あさが来た」の人気の要因にはいろいろあるようですが、近代の大阪を支えた「あきない人」たちの姿が描かれていることもあるのだと思っています。そんな「あきない人」たちのことが書かれているのが、この「大阪商人太平記」です。
その中に、宮本先生が大阪人(主には大阪商人)を評したところがあります。大阪弁と大阪人の人柄を知る手がかりになるところ、ポイントをまとめておきたいと思います。
【宮本又次「大阪商人太平記 明治中期編」(1961) はしがき より】
※「⇒」は私の気になった点、感想です。
「始末」「もったいない」
:大阪人には元来節約勤倹の精神があった。
⇒近江商人からきたものなのでしょうか。
「エエヨウ」(栄耀)と「セチベン」「シブチン」
:栄耀を警戒、それでもケチンボはあかん。物汚い人、高利をとるもの、貪欲な人は排除。
「エゲツナイ」
:忌み嫌い、好ましくない、悪徳とする。
「コスイ」「ゴテ」と「オットリ」
:コスイもゴテも爪弾きされ、大様で心や動作がゆったりとしたオットリが好まれた。
⇒オットリは、新次郎さんにあう言葉ですね。いつも巾着をブラブラさせてるし。
「アコギ」
:際限なく貪ること。軽蔑の対象。
「エグイ」
:ひどくむごたらしい辛辣な行動は「エグイタラシイ」といって顔を背けた。
「ドクショウ」(毒性)
:大阪人にはできぬこと。本来の大阪商人ではない人々の行動。ほんまもんの大阪人は憎んだ行動。
⇒具体的にはどんなこと? 調べてみます。
「セッショウ」(殺生)
:「そらセッショウや」というが、すべきではないと自戒。
⇒雁助さんや亀助さんが言いそうや。
「アカメツル」
:赤目を見せていがみあうこと。望まないこと。
「ズボラ」「ノラ」「ノロマ」「ゴンタ」
:正しい大阪商人はズボラを嫌い、道楽ややりっぱなし、ノラやのろまを嫌悪した。極道や権太(ごんた)は悪徳で、律儀な礼儀正しさを良しとした。
「ショウムナイ」「ショビン」
:始末しながらも、見栄をはることもあり、世間体を気にかけ、ショウムナイことやショビンなことは恥ずかしいこととした。
⇒始末と見栄張、バランスはどのあたり?
「ゴテクサ」
:空論でゴテクサ言うことを忌む。気軽、尻軽で、気さくであることを美徳。気持ちがさっぱりしていて、気さくで、明朗で、物事にこだわらないことを良しとした。
⇒「ゴテ言うな」と言われた記憶があります。。。
「ケッチャク」(決着)
:なんでも敏速に決着することが大切。