2015年08月20日    【山岡孫吉】(3) 大大阪に向かう

丁稚坊や

山岡孫吉は、1888(明治21)年、滋賀県伊香郡東阿閉村の農家に生まれました。
小学校高等科を卒業後、村を出たいとの思いを強くし、最初はアメリカへの移民を考えます。ところが、移民になるには、保証金が必要だったそうです。そのお金が工面できない。また未成年でもあり、山岡は移民になることは諦めました。

しかし、やはり村を出ていこうと、1903(明治36)年、兄を頼って大阪に奉公に出ることにしました。
少しのお金を持って、大阪へ向かいます。今だと在来線で約2時間弱。当時は汽車で行ったのか、湖上交通も使ったのか。山岡の大阪への旅はどんな旅だったのでしょうか。

山岡は大阪で様々な仕事を経験します。天満のメリヤス屋、写真の台紙屋など。ちょうど彼が大阪に出た翌年、1904(明治37)年に日露戦争が始まります。その頃の大阪は、「大大阪」に向けての成長期。東阿閉から大阪に出てきて働く山岡がどんな景色を見たのか、何を思ったのか。とても気になります。

やがて山岡は、体調を崩し、その療養中に釣りに出た先で、大阪瓦斯の社員と出会います。その縁が彼の人生を変えることになります。

【追記】
「ヤンマー百年史」によると、山岡は当時高価な汽車ではなく、水上交通を用いて大阪まで出たそうです。

【調査事項】
・当時の移民の仕組み
・当時の滋賀の交通機関
・山岡の大阪での奉公先:天満のメリヤス屋はどこか。
・写真の台紙屋とは何か。

【最終更新日】2015/8/20


タグ :人物大阪

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Posted by 山遊舎くま at 01:34 │Comments( 0 ) 長浜市
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